さくら  ぱっ【どんぐりじま語】

2018/4 サクラは早春を告げる花として好まれています。今回の”啓翁さくら”は九州のある個人の方(某氏)が彼岸サクラとミザクラを接ぎ木して彼岸サクラの枝かわりで、出てきたサクラです。(接ぎ木変異)(山形県が日本一の出荷量を誇っているそうです。花弁数は5枚です。寒さに強そうなのでチョイスしました。)昔むかし、サクラは中国、朝鮮半島に分布していました。日本でのサクラを思わせる記録が出てくるのは”古事記”に出てくる「このはなさくやひめ」という神様だそうです。この神様は富士山の守護神とされていたそうです。~次にでてくるのが奈良時代の”万葉集”でサクラの「サ」は「サ神」=田んぼの神様、つぎ 「クラ」は神様が鎮座する「台座」のことで、サクラの花が咲くということは=田んぼの神様が山から下りてこられたと考え、迎えるため食べ物やお酒をお供えしてお祝いし、サクラの花が咲くころが田植えの時期と考えていたらしいです。*奈良時代の花見は「梅」だったそうです。~次に平安時代に入り梅よりサクラの美しさに心をひかれ、お花見ブームのバトンタッチです。ちなみにお花見を始めてした方は”嵯峨天皇”だったそうです。~次に鎌倉時代では一般層にも広がり、「徒然草(吉田兼好)」の中の一節に「貴族はサクラをを上品にたのしむが田舎者はサクラの木の下でどんちゃん騒ぎをしている」と書かれていたそうです。~次 安土桃山では豊臣秀吉主宰の吉野の花見会では徳川家康、前田利家、伊達正宗など歴史上の武将達がコスプレをして参加したそうです。その時にふるまわれた食べ物は「花見だんご」だったそうです。~次 江戸時代に徳川家光が上野公園で奈良県吉野のサクラを植えサクラ並木で花見を楽しんだそうです。(日本三大夜サクラのひとつ)(一般人は立ち入れなかったそうです)八代将軍の吉宗がもっともっと庶民がたのしめるようにと浅草や飛鳥山などに植え、おまけに治水工事兼用だったそうです。たとえば「隅田川」は長雨ですぐ洪水となり農村に被害が出てたそうですが、川沿いにサクラを植えるとそれを見に来るひと達が歩くことによって地面が固められ今まではすぐに削られていた地面が固い防波堤の代わりとなり驚くほど水害が減ったと言います。全国のサクラが川沿いに多いのはそういった理由があるそうです。(長くなりました)

♪~さくら~さくら~やよいのそらは~♪
2020/4 今年はいっぱい咲きました(2年目の春)

咲き終えたのち 2020_7_24(2年目の夏)